| www.toms2002.com |
|
||||||||
|
|
|||||||||||||||||
| 店長が商社勤務時代に海外各地へ出張で出かけた時に体験した面白い話や感じたことを メルマガの中でご紹介しておりますが、まとめてここにアップいたしました。 面白い話もありますので、ごゆっくりお楽しみ下さい。(*^-^*) |
| ●2005年1月31日 配信 「流氷はどこから来るのでしょう?」♯♭ |
知床半島の突端でシャチが流氷に閉じ込められて死んでしたね。 子供のシャチや若いシャチだったので流氷の流れに気が付かず流氷に押し込まれるように海岸線まで 流されたようです。 オホーツク海の流氷はどこから流れてくるかご存知ですか? 実は、ロシアのハバロフスク市の横を流れているアムール河で凍った氷がオホーツク海に流れ込んで 1000キロ離れた北海道まで流れてくるのです。 アムール河は、中国名「黒竜江」とも言いますが、ロシアと中国の国境となっている幅数キロの シベリアのタイガの森を流域にもつ大きな河です。 昔、ソ連貿易をやっていた時は、極東の町であるナホトカへ行くためにハバロフスクへは、何回か 立ち寄りました。 夏季は、新潟から飛行機、冬季は、客が少ないので新潟からのJALはありませんので、一度モスクワへ 行って国内線でシベリア大陸を戻って来てハバロフスクでシベリア鉄道に乗り換えてナホトカへ入るという ルートです。 ハバロフスクの常宿は、アムール河の河畔の「ホテル・インツーリスト」 一応、三ツ星のホテルなのですが机とベッドがあるだけで、娯楽設備はまったくありませんので、 天気が良ければ散歩がてらに良く河岸へ降りて時間を潰していました。 夏季は、蚊が多くて、散歩を楽しむことができませんが 冬季は、マイナス20度でも完全防寒していますので快適です。 幅、数キロの河ですが向こう岸までびっしりと氷に覆われています。 さながら、目の前に白い広大な空き地が広がっているような感じです。 でも、氷の下では上流から流れてきた真水がオホーツク海に流れ込み塩分を含まない真水は海水より 早く氷結するので、それが流氷群となって間宮海峡を南下してオホーツクの流氷として北海道まで来る のだそうです。 アムール河は、確かに大きな河だけど、ひとつの河から流れ出た真水が何ヶ月も北海道の北岸を 埋め尽くすほどの流氷を排出するとは、自然の壮大さを感じませんか? ▲Topへ |
| ●2005年1月10日 配信 「お正月料理は、餃子です。」♯♭ |
日本では太陽暦(新暦)を使っていますので、正月は1月1日ですが中国では今でも太陰暦(旧暦)で いろいろな行事が行なわれています。 今年の旧暦の正月は、2月9日です。 日本では全国的に、お正月にはお餅を食べますが中国では正月に「餃子」を食べる地方があります。 大晦日に、1年の無事を感謝して肉の入ってない野菜餃子を食べて正月には、肉がたっぷり入った 餃子で1年の発展を願って食べます。 中国の料理は、「 北麺 南飯 」と言われていますが揚子江の流域を境界線として水の少ない北部の 地方では小麦粉を使った料理が多くて 水の豊かな南部の地方では米料理が多いと言われています。 「餃子」は、中国の北部地方の代表的な料理です。 お正月に餃子を食べる理由としていろいろな説あるのですが中国では餃子は縁起の良い食べ物と されています。 それは、餃子の発音が、交子(jiaozi)(子供が授かる)と同じで「子宝に恵まれる」「子孫繁栄」に つながるからです。 そして、餃子の形が昔の貨幣の形に似ていることからお金に困らず「福を呼ぶ」食べ物だとされて いるからです。 大晦日に家族が集まって 日本で言えば、年越しそば、お餅、おせち料理のように大晦日、正月と餃子を食べながら「春節」を 迎えます。 でも、日本とちょっと違うのは 中国での食べ方は「水餃子」や「蒸し餃子」が主流です。 日本で多い「焼き餃子」は、余った時に作る残り物の料理ということになるらしいですよ(´ヘ`;) ▲Top |
| ●2004年12月13日 配信 「李方子さまをご存知ですか?」♯♭ |
韓流ブームも一時の現象かと思っていたのですがますますヒートアップしてきましたね。 我が家の奥様も空港まで押しかけることはありませんが(笑) 次から次へと出てくる韓国ドラマを 飽きずに見ております。 最近は「チャングムの誓い」とか云って、韓国の宮廷が舞台のドラマを何が面白いのか毎回食い入る ように見ています。 先日、そのドラマをチラッとだけのぞいて思い出しました。 みなさん! 李方子( り まさこ / イ・パンジャ )さまをご存知ですか? 宮家である梨本宮家に生まれ、昭和天皇の妃・良子さまのご親戚であり、韓国・李王朝のラストエンペラー である高宗の皇太子・昌徳宮李垠の妃、戦後、韓国に渡り李垠皇太子亡き後も朝鮮王朝の妃としての 威厳を保ち、今でも韓国人に敬愛されて「日韓の架け橋」となった日本人女性です。 方子さまは、昭和天皇の妃候補にまでなった方ですが、日本人も朝鮮人もすべて日本国民だという 「内鮮一体(日鮮融和)」の象徴として国家の都合で日本で教育を受けていた李朝の皇太子である 垠殿下と結婚されました。 1963年(昭和38年)に垠殿下と韓国へ行くまで東京で暮らしておりましたが、終戦後の「臣籍降下」 (皇族の特権剥奪)で皇族としての身分を失い、在日韓国人として登録され経済的にもご苦労をされた ようです。 垠殿下が亡くなられた後も日本に帰ることなく韓国へ留まり社会事業や韓国の障害児のために施設や 学校を作り、韓国人からは「障害児の母」と呼ばれて敬愛される存在となっておりました。 ソウル在住の日本人女性とも時々お会いになり、気軽にお話をされていたようです。 我が家の家内もそのひとりです。 ソウル日本人会としても方子さまの社会事業や慈善活動のお手伝いをいろいろさせていただきました。 1989年(平成元年)に亡くなられた時は、準国葬として行なわれ古式に則って1000人の従者を従えた 葬礼の行列でした。 最近は、韓流ブームで韓国の男優や女優が注目されていますが 日本にもこのような女性が居たことをお知らせしようと思いました。 ▲Topへ |
| ●2004年12月6日 配信 「他の都市の車は入ってはダメ!in 中国」♯♭ |
先週の日本経済新聞に「中国、小型車の普及へ規制緩和」「地方政府の制限撤廃」という記事が ありました。 記事の内容は、中国の地方政府が実施している小型車の通行制限を、撤廃する事を決めたという ことです。 中国では、都市内部での交通渋滞回避、環境保護(大気汚染)のために他府県(他都市)ナンバー の車は、その都市の中に乗り入れすることができないという条例を実施している都市があります。 昔、江蘇省の蘇州市へ行った時の話しです。 蘇州は、上海から100kmほど揚子江(中国名:長江)をさかのぼったところにある2500年以上の 歴史を持つ、古い文化都市で「東洋のベニス」と呼ばれるように街中に水路がある風情のある街です。 蘇州は、中国の「シルクの府」として有名で古くから繊維の街でもあります。 中国には、蘇繍(江蘇省)、湘繍(湖南省)、川繍(四川省)、繍(広東省)と呼ばれる4大刺繍(技法) があります。 蘇州の刺繍は、「両面刺繍」として有名です。 両面刺繍というのは、表と裏の両側がきれいに刺繍されていて、どちら側から見ても刺繍されている 絵柄がまったく同じように見える技法の刺繍です。 日本でも有名な広東省の「繍」は、スワトウ刺繍として1枚5万円もするハンカチからテーブルクロスや ブラウスなどの刺繍として使われていますのでご存知の方も多いと思います。 蘇州の縫製工場へ行った時に、仕事が長引き夕方になってしまいました。 上海へ帰る汽車の時間もありましたが、夜の上海駅は、仕事を求めて田舎から集まった人間が たむろしていて外国人にはちょっと危険なので車で帰った方が良いという工場の人間のアドバイスに 従ってタクシーで帰ることになりました。 高速道を蘇州から上海へ向かって順調に走っていたのですが突然、上海市の手前で警察に車を 止められてしまいました。 中国語なので、何をやりとりしてるのか分かりませんが、盛んに後部座席のトムスを指差して なにかを話しています。 ホテルへ着いて、その話をしたところ他府県ナンバーだから上海市内に入らせないように警察が 止めたのでしょうとのこと。 そして、外国人が乗っていたので警察が黙認したんですねとの話。 その時は、都市と都市の間の自由な往来を妨げるおかしな規制があるものだと思っていましたが、 その規制がやっと撤廃されることになったのです。 上海市の外面的な繁栄からは、分からない中国がまだ残っているようです。 ▲Topへ |
| ●2004年11月29日 配信 「お酒に酔わない秘策???」♯♭ |
12月は忘年会のシーズンですから、お酒を飲む機会が多いと思います。 今日は、お酒を飲んでもあまり酔わない秘策を伝授いたしましょう(笑) 古今東西、ひと仕事が終わったらお互いの親睦を深めるためにお酒を飲みながら食事をして、 楽しいひと時を一緒に過ごす。 親しい友人との飲み会であれば楽しいですが、取引先との宴席であれば昼間の延長でのんびりと 飲んではいられません(´ヘ`;) 取引先のお国に依っては 「酔いつぶれては」いけない国 → 酒の飲み方も知らない奴だ! 「酔わなければ」いけない国 → 俺の酒を酔うまで飲んでくれた。 しかも、宴席でのひと言が、翌日の商談に影響することがあるのでいくら酒を楽しく飲んでも、 酒に飲まれてしまってはいけません。 お酒の飲み方というのは、とてもとても難しいのですよ(-_-#)・・・(笑) ↑ 呑ん兵衛なトムスの言い訳かも・・・(笑) 取引先との宴席はたくさんありましたが、最も壮烈な宴席のお話。 旧ソ連のナホトカで大きな商談会があり、最終日に宴会がありました。 日本側は5人、ソ連側は女性バイヤーも含み7人、計12人の宴席です。 レストランの一画を借りて、乾杯に次ぐ、乾杯。 時には女性バイヤーをダンスに誘って、終わったらお礼の乾杯。 *女性が同席した時は、ビール樽のような女性でもダンスに誘うのが ジェントルマンとしてのマナーです。(´ヘ`;) 楽しかった(?)宴も終わって、ボトルを数えたら ウィスキー、コニャック、ウォッカのボトルが17本も転がっていました。 数時間の宴会で、ひとり1,5本の飲んだ計算です\(◎o◎)/ アルコールに強かった(過去形ですが)トムスも流石に酔いました。 最後までダウンしなかったのは、宴会が始まる前に 「厚くバターを塗ったパン」を1枚食べておいたからです。 事前に脂肪のある物を食べておけば、胃の内側に油膜が出来るので飲んだアルコールの吸収が 悪くなって酔いにくいということです。 抜群の効果がありますので一度お試しになってはいかがでしょうか! ▲Topへ |
| ●2004年11月22日 配信 「ソウル今昔物語」パート2♯♭ |
先週、ソウルの友人が大阪に来ましたので、久しぶりに一杯やりました。 彼は、トムスが初めてソウルへ出張した時に空港で出迎えてくれた時の新入社員で、それ以来の 付き合いですから30数年になります。 話の中で、最近、サムソン・グループが立派な美術館を造ったので行ってみたけど、先代の会長 (サムソンの創業者)が集めた韓国の青磁や白磁の古美術、2代目の会長が集めた現代美術を 展示してあり一回は見る価値があるので、次回ソウルに来たら案内するとのこと。 サムソン・グループは、先代のリー・ビョンチョル会長が一代で築いたグループで、昔は「三星物産」 という社名で繊維・建築・造船・自動車電子・証券・その他多数の関連企業を持つ大財閥でした。 韓国・ソウルと言えば必ず出てくる「南大門」のすぐ横に「三星本館」と大きく書かれている白い高層 の本社ビルがあります。 噂ですが、リー会長が日本そばが大好きだったので職人を日本へ修行に行かせてソウルでも 日本と同じそばを食べられるようにしたと言われていますが、地下食堂の日本そばが美味しかった ので良く食べに行きました。 (スミマセン、私事で) 晩年は、健康に相当気を使って「かぐや姫」の話ではありませんが世界の良薬、長寿の品を 海外の支店網を使って集めさせて長生きに努めていたようですが、やはり、人間、寿命という ものがあります。 三星の繊維部門と取引をしていましたので、葬儀の招待状が来ましたので、列席しました。 内外の著名人が列席した立派な葬儀でしたが、葬儀後に三星グループが入っている一帯のビル群を ひと回りして霊柩車が去って行くのを見て、巨万の富を手に入れた人間でも、持って行ける物は限られ ている。 ちょっと考えさせられた瞬間でした。 何よりも驚いた事は、グループの社員一同がビルの外の路に整列してお見送りするために、日本で 言えば東京の銀座4丁目の交差点一帯を 個人の葬儀のために交通遮断させるグループの力に驚きました。 ▲Topへ |
| ●2004年11月15日 配信 「ソウル今昔物語」♯♭ |
| 我が家の奥様は相変わらず「韓国ドラマ」に熱中しておりまして、最近、テレビで始まった 新しいドラマを懲りずに観ています(笑) ドラマの世界とは言え、彼らの生活やソウルの街の変化に驚いています。 トムスが初めてソウルを訪問したのは1972年(昭和47年)です。 親父に電話で「ソウルへ出張する」と言ったら「京城へ行くのか」と云われてビックリしたことがあります。 「京城」とは、昔の李朝時代からのソウルの古い呼び名です。 午後の飛行機でソウルへ向かって着いたのが夕方でしたが 空港から一歩外へ出たら周りは真っ暗な暗闇み空間で「なんて暗い街だろう」というのが 今でも記憶に残っています。 それから20数年、仕事の関係で良くソウルを訪問しました。 ソウルと云えば山頂にテレビ塔がある山が出てきますがあれが南山(ナムサン)です。 昔は、南山の麓に外国人が住む「外人アパート」がありました。 その辺一帯は、いわゆるお金持ちが住む高級住宅地ですが、韓国ドラマの中で坂道のある 立派な家のシーンが出てきたらロケ地は南山だと思って間違いありません(笑) 南山に、当時、ソウルでは珍しかったボウリング場がありました。 休みの日の時間つぶしに良く行きました。 驚いたのは、ピンが「ヒモ」でぶら下がっていたことです。 ボールが当ってピンが倒れたら、後ろの方でヒモを引いて元の通りに立て直していました(笑) その後、しばらくして行ってみたらヒモが無くなって、代わりに人間がピンボックスの中に入って 1本、1本立て直す方式に変わっていました。 レーンボックスの上で待機していて、ボールが奥の箱に落ちた途端に降りてきて、すばやく並べる 人海戦術です。 倒れそうで倒れずにフラフラしている最後の1本がある時は降りて来て、軽くポンと触って倒して くれます(笑) そのような時は「カムサムニダ」(ありがとう)と云ってボールの穴にチップを入れてボールを投げ込み ますと向こうもお礼を言ってボールを返してくれます。 人間味あふれた、いい加減なストライクですが 楽しかったですね! 当時の日本では、現在と同じように全自動のボーリング場でしたが 昭和20年代に東京の神宮外苑に日本で初めて出来たボーリング場では、当時のソウルと同じように 人間が中に入って並べていたとのことです。 話が横道にそれてしまいましたが 「ソウル今昔物語」でした(´ヘ`;) ▲Topへ |
| ●2004年11月8日 配信 「11月7日は何の日でしょう」♯♭ |
昨日、11月7日は、トムスの「結婚記念日」です。 スミマセン! バカ! ポカン! ☆+。.*・★゜。゜+・:*+。.:*:・☆゜:*:・★゜。・☆゜:*:・★゜ 11月7日は、旧ソ連の「革命記念日」です。 昔、旧ソ連向けに繊維製品の輸出をしていた時は、若き企業戦士(?)は、結婚記念日も忘れて 仕事をしていました(´ヘ`;) 夏に行なった展示会で選ばれた商品の公団との商談会です。 この商談で来年1年の商売が決まるので非常に重要な商談です。 分厚い商品データを抱え込んでモスクワでバイヤーとバトル。 公団の買い付け担当者は、ほとんどが女性ですので価格交渉以外に細かい気遣いが必要で、 胸のうちはともかく値切られても笑顔を絶やさないようにしなくてはいけません。 暗くて、寒い、そして疲れる数週間のモスクワ生活の始まりです。 旧ソ連のソビエト時代、11月7日は「革命記念日」で休日でした。 1917年11月7日に革命家集団ボルシェビキが当時のロシアの首都であるサンクトペテルブルグの 王宮を占拠しロマノフ王朝を倒してソビエト体制を確立した記念日です。 -------------------------------------------- サンクトベテルブルグってどこにある街と思われる方に・・・。 モスクワよりも北西のフィンランドに近いネヴァ川の河口にあって古くからロマノフ王朝が首都として いた都市です。第一次大戦の時にドイツ風の呼び名を嫌ってペトログラードと改名しましたが、 ロシア革命後にレーニンの名前を冠してレニングラードと呼ばれていた街です。 ですから昔の「レニングラード」ですと云った方が分かりやすい方が多いかもしれませんね(笑) エルミタージュ美術館などがあって、日本で言えば京都みたいな所です。 ------------------------------------------- 昔は、11月7日にモスクワの「赤い広場」で軍事パレードがありました。 赤い広場の風景 http://www.toms2002.com/photmelma/moskva.html 前の日から戦車などのパレード演習で一帯は封鎖されてしまいます。 ホテル帰るにも遠回りをしなくてはいけません。 日本との時差は6時間あるけど、この日は日本へよく国際電話をしてました。 ▲Topへ |
| ●2004年11月1日 配信 「上海カニのシーズン。パート2!」♯♭ |
先週もお話しましたが、秋が深まるにつれ、上海の秋の味覚といえば、これしかないと言う 「上海ガニ」のシーズンがやってきました。 上海ガニというのは川に生息する蟹で、大きいものでも人のこぶしぐらいで日本の越前ガニなどに 比べるとかなり小ぶりですがそのカニみそは絶品です。 上海近郊の「陽澄湖」で採れる上海カニが最高に美味しいとされています。 上海ガニが珍重されるようになったのは、最近のことかと思っていたのですが 上海出身の友人に聞いたら昔からのことのようです。 中国の古い長編小説である「紅楼夢」(日本で言えば「源氏物語」)の中でも貴族屋敷の 深窓の令嬢が、菊の花を観賞しながら上海カニを食べるという光景が書かれているそうです。 ところが、最近の上海ガニのブームにあやかって、他で採れたカニを陽澄湖で 何日間泳がせただけで、「本場陽澄湖産」というラベルを貼って産地を偽って 出荷されている蟹が出回っているようです。 地元の人は、このような蟹を「風呂ガニ」と呼んでいるのだそうです。 陽澄湖という巨大風呂で浸かっただけのカニという意味だそうです。 そして、最近の出た珍種(?)としては 「上海カニ」本体、 蟹の殻を切る「ハサミ」 蟹肉を取り出しやすい様に「カニ用のスプーン」 そして食後の臭いを消す「手洗い水」がセットになった 「上海カニ・セット」が売り出されるようになったとのことです。 ここまで来ると、どうかとは思いますけど・・・ ▲Topへ |
| ●2004年10月25日 配信 「上海カニにもブランドがあります!」♯♭ |
上海で、この時期に美味しいものと言えば「上海カニ」ですね! 世界的に有名なデザイナーである大阪岸和田の三姉妹のひとりのK女史と上海の和平飯店で、 このカニを食べた時に「お母ちゃんにも食べさせたい」と言って、大手アパレルの人間がカニを持ち帰り、 カニだけの為に伊丹でベンツが待っていたというお話は以前したことがありますね。 上海カニは、淡水に住む蟹ですが昔は上海近郊でたくさん獲れたそうです。 最近は、ほとんどが養殖モノですが、養殖モノの中でも「陽澄湖」で養殖した蟹が、もっとも美味しい のだそうです。 今では「上海カニ」と言えば陽澄湖で獲れたものと言われてるそうです。 近くの太湖でも養殖してるのですが、どこが違うのかは専門家でなければほとんど分からないそうです。 陽澄湖産の上海カニは高く売れるので、太湖のカニも上海では陽澄湖産として堂々と売られていて、 上海地区だけでも陽澄湖からの出荷量をはるかに越える「陽澄湖産の上海カニ」が売られている そうです(笑) 養殖業者は、「陽澄湖産の上海カニ」である証明として、一匹ずつブランド名が入ったタグをカニに付けて 売っているのだそうですが、にそれをすぐに真似する業者がいるので、なかなか思ったような効果は あがっていないようです。 海外の商標権や知的所有権に対する意識が薄い中国ですが 国内での、このような経験を通して少しずつブランドを守る 大切さを学んでくれたらと思います。 ▲Topへ |
| ●2004年10月18日 配信 「韓国・ハングルについて!」♯♭ |
| 最近は「韓流ブーム」とか言って、韓国のドラマや俳優が日本ではブームにになっていますが、 サッカーのベッカム様はどうなったのでしょうか?(笑) 「冬ソナ」の影響でハングルを勉強する人が増えたそうですが 今日は、ハングルについて少しお話をしようと思います。 ハングルの「ハン」というのは「偉大な」という意味で「グル」は「文字」 という意味で、 ハングルとは「偉大な文字」という意味です。 李朝の第4代めの大王である世宗が1443年に学者に命じて作らせた世界でも珍しい人工的に作られた文字で、作られた当初は女性や子供向けの 文字として使われたということです。 文字の構成は、母音と子音の組み合わせで表現されている「表音文字」 なのですが、基本的な母音と最低限の子音だけであれば1時間もあれば すぐに覚えられますよ(*^-^*) そして、文法は日本語と同じで主語→述語→目的語とまったく一緒です。 昔から漢字文化圏なので、ハングルは漢語(漢字)の表音が多いのですが 日本語にもある「安心」(アンシム)「家具」(カグ)「市民」(シミン) 「気温」(キオン)などのように、ほとんど同じ発音の文字が結構あります。 そして、「空港」(コンファン)「市場」(シジャン)「文化」(ムンファ) など同じ漢字でも発音の違う文字もありますが、それぞれの漢字の発音の 仕方を覚えれば単語をどんどん増やすことが簡単にできます。 「こんにちは!」の「アンニョンハシムニカ」は、「安寧 ハシムニカ」 となりますが、直訳すれば「安寧でいらしゃいますか?」つまり 「お変わりありませんか?」ということになるのです。 「ありがとう」の「カムサハムニダ」は「感謝ハムニダ」となって 「感謝します」ということになります。 ハングルで「国」のことを「ナラ」と言いますが、昔、朝鮮半島からの 渡来人が多かった大和地方で故郷を偲んでここが我々の国だ(ウリナラ) と呼んだのが「奈良」の語源になったという説もあります。 真偽のほどは分かりませんが(*´∀`*) 最初は、分かりにくい文字なので難しい言語と思うかもしれませんが もしかしたら日本人にとってもっとも簡単に覚えられる外国語かもしれません。 ▲Topへ |
| ●2004年10月11日 配信 「韓国・オンドルの話!」♯♭ |
「昨日、我が家では、今年になって初めてオンドルを入れました」 今週、神戸に来ることになってるソウルの友人よりメールが入りました。 神戸は、今日もまだ25度以上の真夏のような気温が続いていますが、 ソウルでは、秋も後半になって 冬がそこまで来ているようです。 数日前から急に朝晩が冷え込みだして漢河(ハンガン)の川面に白いモヤが立ち込めるように なったようです。 オンドルというのは、伝統的な韓国式の暖房方法で漢字で書けば「温突」となります。 オンドルの意味は、日本でも最近人気の「床暖房」のことです。 昔は、かまどで焚いた煙を「床」と床下に土盛りして作った「空間」に通して床を暖めていた ようですが、最近は、床にパイプを使ってボイラーで温めた熱湯を循環させる方法で暖めています。 とにかく、部屋というより家中がほんのりと暖まり非常に快適です。 先日、家内が「冬ソナ」をよく見ている家内の友人から 「韓国の冬は寒いと聞いてるけど、 家の中でも寒いんですか?」 「だから韓国人は、家の中でもコートを着てるのですね!!」 と言われてしまったそうです(笑) トムス達が、ソウルに住んでいた時に入居していたアパートは、 外がマイナス15度の真冬でも、 オンドルが効きすぎて家の中が熱すぎるので窓を開けて温度調節をしていたような状態です。 冬ソナ撮影の後日談を聞けば、短期間で撮影してすぐ放送してたようだから「演じている俳優は、 急がされてコートを脱ぐ暇もなかったのじゃないか」とでも答えておいたらと、 家内には言っておきました(笑) 日本のようにこたつやストーブ等の暖房器具を使って暖める暖房方式は、暖房器具の近くにいれば 暖かいですが、離れれば寒いし、一歩部屋の外にでれば家の中はしんしんとしていることが多いですね。 大陸性気候のため韓国の方が日本より寒いと思いますが 家の中での生活温度だけで比較してみれば 「日本」の方が「韓国」よりも寒いかもしれませんよ(´ヘ`;) ▲Topへ |
| ●2004年10月4日 配信 「石油の単位:バーレルについて!」♯♭ |
| 先週、原油の価格が、ついに1バーレル50ドルの大台を超えてしまって日本の景気の先行きに 暗雲が立ちこめてきたと新聞に出ていましたが 難しい経済の話はさておいて 石油の話で時々出てくる「バーレル」という単位についてお話します。 英語でバーレル(barrel)というのは「樽」という意味です。 アメリカで石油の生産が本格的に始まったのは19世紀の中ごろからです。 地下から採油された原油を製油所までに運ぶのに、当時はシェリー酒などを入れて、飲み干して 使われなくなった空樽を使っていました。 使い古しの樽なので、目的地に着いた時には中身の原油が蒸発していたり樽から漏れたりして 目減りしていることが多いので、ちょっといい加減な決め方ですが、取引の単位として1バーレル ・何ドルと決めたようです。 それ以来、アメリカを中心に原油の取引や生産量、埋蔵量を表す単位としてバーレルは使われる ようになって世界に広まったようです。 でも日本の新聞などでは「わが国の石油消費量は、年間2億キロリットル」とか報道されていますので、 まだまだ世界レベルで石油の単位としては統一されていないように思います。 ところで、1バーレルとは、どれぐらいの量なのでしょうか? 私たちが良く使っている単位で言えば、約159リットルとなります。 もっと分かりやすい言えば、石油缶は18リットルですから 石油缶で約9缶分の量が、1バーレルということになります。 先週テレビで、昔のアメリカ西部の映画をやっていたので見たのですがカリフォルニアの荒れ果てた 原野で、石油の採油風景が出てきました。 「アーそういえば、車で走った時に見た光景だな!」と 懐かしく思いながら見てました。 ▲Topへ |
| ●2004年9月27日 配信 「月餅と中秋の名月!」♯♭ |
| 9月といっても、今年は毎日暑いので秋が来たという実感は、まだまだありませんね(*^-^*) 先日、神戸元町の中華街を歩いていたら道の両側で「月餅」を売っているお店がたくさんありました。 中国では、この時期になれば「中秋節」と言って家族や親戚が集まって秋の空に昇る 満月を眺めながら月餅を囲んで食事をする習慣があります。 「月餅」といっても大きいものは30センチもあるのでとてもお菓子と呼べるようなものでありません。 満月のように丸い餅ですから、「満月」と「円満」をかけてこれからも家族全員が健康で円満な生活を 送れますように そして「月餅」の中には五穀が入っているのですが今年の豊作を感謝するという意味があるようですが その場に集まった人間が「感謝」と「願い」をこめて「月餅」を分け合って食べるのだそうです。 ところで、この時期に満月になった月のことを「中秋の名月」と、どうして呼ぶのでしょう? 満月になるのは、1月から12月まで毎月あって1年間で12回もあるのに、どうしてでしょう? 一年には「春・夏・秋・冬」の四季がありますが旧暦では、3カ月ごとに季節が移り変わって いくのだそうです。 1月・2月・3月は「春」、 4月・5月・6月は「夏」 7月・8月・9月は「秋」、 10月・11月・12月は「冬」 そして、それぞれの季節を3つに分けてそれぞれ「初・中・晩」の季節と呼んでいました。 旧暦で「初夏」と言えば4月ということになります。 そして、8月は秋の真ん中なので「中秋」ということになります。 日本にも古くから秋の収穫の終わった、今ごろの時期つまり旧暦の8月15日ごろに昇る月に 豊作の感謝をしながら鑑賞する風習がありました。 ちょうど、この時期の月は満月となるので特別に「中秋の名月」と呼んでいろいろ願い事をしたそうです。 お月見の時には、団子をあげますが、その由来はその年に採れた収穫物として「イモ」を供えた風習が あってそれが変形して団子になったのだそうです 団子もイモも「丸い」からということでしょうか? 今年の旧暦の8月15日は、9月28日になってます。 ▲Topへ |
| ●2004年9月21日 配信 「台北・故宮博物館!」♯♭ |
| 先日、友人が台湾に仕事で2週間行っていました。 はじめての台湾だったけど、忙しくて、観光は出来なかったようです。 次回、行くチャンスがあれば 世界一 高いビルと言われてる「台北金融大樓」に是非行ってみたい と言ってました。 トムスも台湾は仕事で何度も行きましたが同じように仕事で行っているわけですから 観光というは、ほとんどしたことがありません。 でも週末とか日曜日などに時間が開いた時には「故宮博物館」へ良く行っていました。 「故宮博物館」と呼ぶ博物館は、中国の北京と台湾の台北にあります。 もともと「故宮」というのは中国の明朝と清朝の宮殿であった「紫禁城」のことですが この紫禁城にあった宝物のほとんどは現在は台北の「故宮博物館」にあります。 その理由は、蒋介石が中国本土から台湾に移ってきたときに紫禁城の宝物を一緒に持って きたからです。 この辺のお話をすれば長くなりますのでいつかお話することにしますが 中国というか人類の歴史でもある紀元前十六世紀の「殷」の時代から始まって中国の歴代王朝が 蒐集・継承してきた文物65万点を収蔵してると言われています。 そのうちの6,000点ほどが展示されているということです。 広い館内を、1日で見ることはとても難しいと思います。 各時代ごとに良く整理されていますので興味のある部屋を選んでじっくりと鑑賞するか 本当に駆け足ですが、急ぎ足で館内を一巡するか 行かれたら、お好きな方を選んでください。(笑) とにかく展示品の数々はすばらしいの一言でしか表現できません。 台湾を訪れるならぜひとも行っておきたい場所のひとつだと思います。 ▲Topへ |
| ●2004年9月13日 配信 「カレル橋 in プラハ!」♯♭ |
| ご存知の方もいらしゃるかもしれませんが当店の店長の挨拶のページに、店長の「夢」として 「家内とふたりでいつかプラハを散策したい」と書いてあります(*´∀`*) そこにアップした「カレル橋」から見るプラハ城はとても風情があります。 http://www.toms2002.com/info/greeting.html#bridge 先日、このメルマガを購読されてる方からご主人とヨーロッパのどこかへ行こうと思ってるのだけど プラハってどんな風にいいのですか? というメールを頂戴しました。 みなさんそれぞれのご趣味があるかと思いますが プラハの旧市街は、本当に中世そのままの風情が残っています。 特にモルダウ川(ブルダヴァ川)に架かる「カレル橋」から「プラハ城」へ通じる旧市街は 中世へタイムスリップさせてくれるのでとても気に入ってます。 カレル橋は、コーヒーのNESCAFEのCMに出てきたことがあるので ご存知の方もいらしゃると思いますが 1357年から60年掛けて完成した全長520メートルの石橋です。 橋の両側の欄干に聖人やチェコの英雄の銅像が30ほど立っています。 日本でも良く知られているフランシスコ・ザビエルの銅像もあります。 行かれるときは、観光案内書や歴史書を抱えて古い建物や銅像ひとつひとつが持っている 由来をたどりながら見て歩くのも違った旅の楽しみ方で面白いのではと思います。 旅行会社の作った駆け足での旅行ではなくて 自分だけの旅とあなただけの思い出が見つかるかもしれません(*^-^*) ▲Topへ |
| ●2004年9月6日 配信 「ユニクロの功績!」 |
| 「ユニクロの功績」というタイトルですが、ユニクロとは何の関係もない人間ですので、宣伝をしよう なんて思ってないことはお分かりくださいね!(笑) ユニクロと言えば「フリースのジャケット」を思い出されるように数年前のユニクロのフリース戦略は 凄かったですね! 「フリース」という高級素材を若者だけでなくオジンさん、オバサンにも普及させた「ユニクロの功績」は 素直に認めたいと思っています。 フリースという繊維素材は、10数年前に米国のデュポン社が開発した「マイクロフリース」という ニットの生地のことです。 開発された当時は、非常に高価でこの素材を使ったパタゴニヤのジャケットなどは、日本で買えば 何万円もするアウトドア用の高級ジャケットでした。 トムスも10年ほど前に生地を米国で買って香港まで空輸して、香港縫製で日本へ輸入したことが ありますが、やはり商品価格は何万円もしました。 その後、フリースは台湾の繊維メーカーが作れるようになりましたので 生地は台湾、縫製は中国で というやり方でコストダウンをしてきました。 5,6年前に台湾メーカーが中国の南京市の近くにフリースの工場を 作ったのですが、 ユニクロは、そこに着目したのですね(凄い!) 大量注文をすることで大幅なコストダウンをすることに成功しました。 何万円もしたフリースのジャケットを1900円で売り出したのです。 ユニクロという地方区の企業が全国区へデビューした瞬間です。 ▲Topへ |
| ●2004年8月30日 配信 「黒ビールのギネスのお話♪」 |
| まだまだ暑い日が続いているので、たまにはビールの話でもいかがですか? 日本でビールと言えば、あの黄金色をしたビールですがヨーロッパへ行ってビールを注文すると 黒色のビールが出てくる事がよくあります。 味は、日本のビールよりもコクがあってちょっと辛めですが、それが良いと言う人もいるので、 ひと様々、趣味の問題ということにしておきましょう。 東京の恵比寿に「恵比寿ガーデンプレイス」という所があるのをご存知の方も多いと思います。 昔はダサい所だった恵比寿を新聞や雑誌に良く取り上げられるセレブな街に変えた 大きなアミューズメントパークです。 でも、この恵比寿ガーデンプレイスが日本のビール発祥地のひとつであったということを ご存知の方は少ないと思います。 明治23年に発売された恵比寿ビールの工場は恵比寿にあったのです。 その後サッポロビールとなって、あの場所はサッポロビールの恵比寿工場として長く稼動していた のですが、東京都の都市開発で約10年ほど前に工場移転した跡地に作られたのが 恵比寿ガーデンプレイスです。 だから、今でも恵比寿ガーデンプレイス一帯をサッポロビールが管理しているのは、 このような経緯があったからです。 話がとんでもないところへ飛んでしまいましたねm(_ _)m 黒ビールと言えば「ギネス」が一番美味しいですね(*^-^*) ギネスビールは、1759年にアイルランドのダブリンにあった古い醸造所を創業者である アーサー・ギネスがたった45ポンド(最近の為替で9千円)でそれも9000年にも及ぶ長期の 賃貸契約を結んで始めたのが最初です。 原料と純度の高い水にこだわって、時間をかけて発酵させた味は、世界中で評判を呼ぶことになり、 今やビールの名門として有名なビール会社です。 ところで、ギネスと言えば「ギネス・ブック」は世界一を集めた本として有名ですね。 この本が誕生することになったキッカケは ギネスの重役が狩りに行った時に「一番逃げ足の早い鳥はどの鳥だろう?」と論争になって、 そのことがキッカケでそれならいろいろと世界一を集めて本を出してみたら宣伝になって面白い のではという説と、 イギリスのパブでビールを飲みながら喧々諤々と客がしていた自慢話を集めて、それを本にした のがキッカケだという説と 諸説ありますが 最近ではこの本が、世界中で大人気となっていて聖書を除けば年間の発行部数では 世界一だそうです。 だから「ギネス・ブック」には 「世界でもっとも売れたノンフィクションの本は、ギネス・ブック」であると本の中に「ギネス」の名前が 載っているらしいです(笑) 以上、香港の英国風のパブで香港人から聞いた話です(´ヘ`;) ▲Topへ |
| ●2004年8月23日 配信 「ルーブル美術館ミロのビーナス」 |
| パリのルーブル美術館にある「ミロのビーナス」はご存知だと思います。 ギリシャのエーゲ海に浮かぶ小島のミロス島で1820年に発掘された大理石の彫像ですが、品格のある顔立ちと女性らしいふくよかな輪郭でルーブルの至宝と呼ばれているビーナス(女神)像です。 発掘された島のミロスをフランス語でミロと発音するので「ミロのビーナス」と呼ばれるようになったのですが、もし、発掘されたギリシャにそのまま残っていれば、今頃は「ミロスのビーナス」と呼ばれているかもしれませんね(笑) ヨーロッパへ進出しているたくさんの日本企業が活動の中心地として事務所を置いているドイツのデュッセルドルフ市への出張がありました。 帰りにファションの中心地であるパリに寄ってちょっと勉強して来いや!という名目でパリで数日を過ごす 機会がありました(ラッキー!)(*^-^*) ところで、ご存知の方は少ないかと思いますが今から40年前の1964年にミロのビーナスが日本に来て 上野の美術館で展示されたことがあるのですよ! その時は、数百万の人が見に行ったそうですが美術館の周りに数時間並んでやっと展示されている部屋 までたどり着いても、ひと、ひとの渦の中で展示されてる大理石の彫像を見ても正直言ってたいして感動 しませんでした。 でも、流石にルーブル美術館ですね!!! 静かな雰囲気の中で、展示されている空間とビーナス像が調和して その静寂は紀元前のギリシャに 居るような雰囲気で感激しました。 最近の美術論によれば、当時のギリシャ人が知っていたかどうか不明ですがビーナス像を見て美しいと 感じるのは人間が見て感じる美の法則というのがミロのビーナス像に適用されているからだそうです。 その法則と言うのは バストとヒップの幅長、へそを中心とした像の上半身と下半身の構成比率、顔の縦の長さと横の幅の 長さの比率が、すべて、それぞれ「1対1.6」の割合でビーナス像が作られているからだそうです。 そして、この法則が適用されている物は他にもありますよ。 エジプトのピラミッドのどっしりとした安定した美しさは「1対1.6」の法則が適用されて造られているからだ そうです。 つまり、ピラミッドの高さを1とすれば底辺の長さが1.6になるように設計されているとのことです。 もしかしたら紀元前の人たちは、この法則を知っていたのかもしれませんね。 そして、さらに驚くべきことは、この法則が現代の美容整形の整形診断の際にも採用されているとの ことです\(◎o◎)/ 目間の距離と鼻の位置、鼻の高さと顔を大きさ、などなど・・・ この比率は、どうやら本当に、見て美しい と人間が感じるようです(*^-^*) ▲Topへ |
| ●2004年8月17日 配信 「4000年の歴史♪」 |
| アテネ・オリンピックの開会式をテレビで見ていて感じました。 そうだ! ギリシャも4000年の歴史があるのだと。 4000年の歴史を開会式のエキジビジョンで絵物語風に見せてくれてましたが、ギリシャの歴史が 良く分かって興味を持って見ていました(*^-^*) 昔、上海に長期出張することが良くありました。 今でこそ上海は観光・ショッピングを楽しむ場所がたくさんありますが、当時の上海は、そのような所は、 何もありませんでした。 娯楽がたくさんある日本人には理解できないと思いますが、何にも無いというのは、 本当に何にも無いのです(´ヘ`;) 仕事のない日曜日になったら、いつも時間を潰すために動物園に行ったり、博物館に行って時間を 潰していました。 動物園に行ってパンダを見ても最初は感激(?)しましたが、パンダは、何回も見るものでは ありませんので、時間のある時は、上海博物館に良く行きました。 中国の文化遺産の良い物は、台北の故宮博物館にあると言われてますが どうして、どうして中国文化は、そんなものではありません。 上海博物館にも素晴らしいものがたくさん陳列されています。 中国創世の4000年前から近代(と言っても明とか清の時代ですが)まで各部屋に分かれて 非常に良く整理して陳列されていました。 いつもは一人で見ているのですが、ある日、アメリカの観光団が来ていました。 ガイドが説明をしながら見ていたので、後ろで一緒に聞きながら歩きました。 いわゆる「タダ聞き」です(*´∀`*) ちょうど「清」のコーナーに来たときに、ガイドがアメリカ建国の時代ですという説明をした時の アメリカ人達の驚きの表情は今でも覚えています。 アメリカの建国は1776年ですが、その時代は、中国の歴史では 近代と呼ばれる「清」の時代だったのです。 4000年のハイレベルの文化がある国がアジアにもあったのです。 ▲Topへ |
Copyright(C) トムスの服物語 All rights reserved.